文責:井上 誠(社長)
余分な資源はもたない、必要なこと以外はしないと世の中はあげて効率化である。
しかし、この流れのなかで情報の取り方や思考方法に至るまで効率化されているようで懸念を覚える。
あまりの効率化に毒されると“自分が必要と思うこと”以外は興味を持たなくなるのではないか。
何かに取組むときに自分なりの仮説を立てる。わからないことはインターネットで検索するとたくさんの情報が手に入る。しかし、よく考えるとインターネットの検索は“自分のキーワード”で限定され自分の指向が量的に拡大するに過ぎない。じっくり何件かを読めば新たな発見も見つかるはずだが、きっと効率化を考える人は検索結果の1、2件を斜め読みする。これでは最初に想定した仮説に自信を深めるだけに終わる。
世の中の一流と言われる方々は一般に興味が尽きず謙虚な方々も多いように思う。興味があって謙虚であれば人の話は何を聞いてもおもしろい。自然と自分のフィールドが広がる。結果として別の分野からの刺激を受け発想や問題解法も従来の延長線上に無いものがでる。そして新たな発想が評価され一流となる。
確立された作業において効率化を追求することは大切だが、思考においての効率化は害になる。非効率な付き合いや無縁の情報は無駄に見えるが思考の基礎であることを考えると大切な要素だと思う。豊かな無駄を過ごすことが良い発想を創りだす。
そう考えると世の中に無駄なことはないのだと思う。
2007年09月26日
