【文責:清水健史(営業グループ)】
今日は8月31日ということで、学生にとっては長い夏休みの終わりです。まだ今年は9月1・2日と土日ですから、宿題の追い込みも若干余裕があるというところでしょうか。
社会人になってしまうと長い夏休みを取ることは少なくなってしまいますので、学生時代の夏休みを少し懐かしく思い出しつつ、日々の仕事に戻っていくのが常でしょうね。
そんな楽しい夏休みも終わりに掛かると憂鬱になったものです。そう、その理由は宿題の山。
ドリルとか“やっつけ”でできるようなものはともかく、観察日記といった継続的にやらないといけない課題や読書感想文のようにあまり読みたくない分厚い課題図書を読んでおまけに自分の感想を捻くり出して原稿用紙に書くという二段構えでやらないといけない課題などは特にうんざりしたものです。
宿題とか課題とかから離れて(まぁ、今は今でそれよりも重いことは沢山有りはしますが)なぜ嫌だったのか、うんざりさせられたのかを振り返りますと、時間を取られるということもあるのですが、何のためにやるのかが良く分かっていないからだったような気がします。
確かに先生や親はそれなりの理由を言っていたような気がしますし、それはもっともな話なのでしょうが、それが充分に理解できていないので、何かやらされてる、必要ないことばかりという印象しか持たない、そこから始まっているのでやることが苦痛になる、苦痛なので気が入らない、よってちっとも進まない・・・という “負”のサイクルに落ち込んだのではないでしょうか?
もちろん本人の自覚が一番必要なのですが、廻りも“やるのが当然”“あとあと必要だから”というようなアバウトな理由ではなく、“なぜ、それをやる必要があるのか”“それをやることでどんなメリットがあるのか”というようなことを説明することで大分、解消できるように思います。
また、せっかく長い期間があるのだから、普段出来ないことをやるということをやらせてみるということも持ち掛けてみると、興味あることにも出会えて積極的な取組みができるのではないでしょうか?
確かに観察日記も普段できないといえばできないかもしれませんが、観察するだけでなく、こういう環境ならどう育つかとかえさや肥料を替えてみるとどうなるかとか想像力を働かせるようなやり方ならもっと面白いように思います。
私達の仕事も然りで、やりたいことは何か?目的は何か?その目的を達成することがどんなメリットがあるのか?というような思考で進めていくことは必要ですね。
そして、ゴールに向かって自分の想像力を働かせて創意工夫をしていけば成果もより良くなっていくことでしょう。
夏休みの宿題をやる時にそのような思考で進めていたら、社会人になっても生かせたかもしれません。(後悔してもしょうがない話ですが・・・)
明日から9月。若かりし学生時代を思い、少し遠い目をしてぼんやりとしてしまいましたが、そろそろ仕事に戻ることにします。
(えっ、遅いって?まぁ、まだまだ残暑も厳しいですし、焦らずぼちぼち行きましょう。)
2007年08月31日
2007年08月27日
心・技・体
文責:中村 厚(営業グループ)
東京に転勤してはや6年、転勤当時に引きこもりにならないよう、子供の通う小学校のPTAが主催するバドミントンのサークルに夫婦で入りました。
暫くしたら私だけフェードアウトしようと考えていましたが、バドミントン自体もサークルの仲間も楽しくずっと続いています。
このスポーツは、風が入らないように真夏でも扉とカーテンを閉めてシャトルを追いかけまわす競技で、まずは高温多湿に耐えられる体力が無ければ楽しめません。
「継続は力なり」と言いますが、エライもので週末(土日)だけでも継続していると、40歳を超えていても技術も体力も向上するものです。
プレイ中はヒーヒー喘ぎながらも無心になれる貴重な時間であり、公式戦に参加するともっと強くなりたいと真剣になります。
今年から公式戦のクラスを2部に上げたところ瞬く間に8連敗、優勝どころか1勝することが今年度の目標になってしまいました。
2部はショットも速く正確でラリーが長くなり、技術と体力の強化が必須になります。
とは言え、現実には学生時代のように無尽蔵な時間も無く、映画のロッキーのようにハードなトレーニングに取組めるわけもないので、いかに効率良く効果を上げるかがポイントになります。
私は「特別な解」を求めず、身の丈にあった「継続できること」に取組むのが良いかなと感じています。
練習時の工夫と集中力があれば、3時間の練習でも技術や体力をかなりアップできるのですが、どうしても怠け心と言い訳が出てしまい3時間を十二分に使いきれません。
やはり上達するには練習しかありませんし、効果的な練習を行うにはかなりの集中力が必要で、それには自分に勝てる強さがないと難しいです。
ストイックな感じもしますが、今の私は心を変えないと一層の技術と体力を求められない状況にあります。
でも残念ながら一気に変えられるとは思っていませんので、少しづつ諦めずに継続するつもりです。
諦めずやり続ければ必ず2部でも優勝できると信じて。 NO GUTS,NO GLORY
東京に転勤してはや6年、転勤当時に引きこもりにならないよう、子供の通う小学校のPTAが主催するバドミントンのサークルに夫婦で入りました。
暫くしたら私だけフェードアウトしようと考えていましたが、バドミントン自体もサークルの仲間も楽しくずっと続いています。
このスポーツは、風が入らないように真夏でも扉とカーテンを閉めてシャトルを追いかけまわす競技で、まずは高温多湿に耐えられる体力が無ければ楽しめません。
「継続は力なり」と言いますが、エライもので週末(土日)だけでも継続していると、40歳を超えていても技術も体力も向上するものです。
プレイ中はヒーヒー喘ぎながらも無心になれる貴重な時間であり、公式戦に参加するともっと強くなりたいと真剣になります。
今年から公式戦のクラスを2部に上げたところ瞬く間に8連敗、優勝どころか1勝することが今年度の目標になってしまいました。
2部はショットも速く正確でラリーが長くなり、技術と体力の強化が必須になります。
とは言え、現実には学生時代のように無尽蔵な時間も無く、映画のロッキーのようにハードなトレーニングに取組めるわけもないので、いかに効率良く効果を上げるかがポイントになります。
私は「特別な解」を求めず、身の丈にあった「継続できること」に取組むのが良いかなと感じています。
練習時の工夫と集中力があれば、3時間の練習でも技術や体力をかなりアップできるのですが、どうしても怠け心と言い訳が出てしまい3時間を十二分に使いきれません。
やはり上達するには練習しかありませんし、効果的な練習を行うにはかなりの集中力が必要で、それには自分に勝てる強さがないと難しいです。
ストイックな感じもしますが、今の私は心を変えないと一層の技術と体力を求められない状況にあります。
でも残念ながら一気に変えられるとは思っていませんので、少しづつ諦めずに継続するつもりです。
諦めずやり続ければ必ず2部でも優勝できると信じて。 NO GUTS,NO GLORY
2007年08月16日
火の国熊本で同窓会
文責:山野和人(常務)
東京でも先週末あたりから本格的な夏を迎えたようですが、今年の夏の“火の国熊本”の暑さは尋常ではなかった。気温36度、まるでサウナの中に入っているようなムッとする熱気、車庫の柱に掛けてある温度計は44度を指していた。
そういう気候のなかでふたつの同窓会があった。ひとつは小学校の同窓が集まってくれたもので、私が久しぶりに戻ってくるということで、地元に残っている有志が声を掛け合ってくれたという非常にありがたい集まり。こちらはなんと40年ぶりの再会だった。当日は最初会ったとき「こいつ誰?」状態だったのに、話をしているうちに顔の表情に昔の面影を思い出したり、喋りかたで記憶が甦ったりしてきたのは不思議だった。小学校6年間過ごした時間というのは40年の時の長さを一瞬にして取り戻すものなんですね。
もうひとつは高校の同窓会でこちらは三十数年ぶり。全国各地から馳せ参じて集まってくれた男女四十名弱が顔を揃えた。高校になると大人に近い顔立ちになっているせいか、齢五十を過ぎても面影が残っている人が多くわかりやすかった。それでも三十数年ぶりということでお互いに高校生のころの印象と比べてしまうのは仕方のないことかもしれない。
私の場合高校の頃は“長髪パーマ”という印象が強烈だったようで、みんなから髪型だけ変わったねと指摘された。でも私からすれば五十過ぎてそんなヘアースタイルをしているのはロックミュージシャンくらいしかいないだろうに(笑)と複雑な思いだった。
今回ふたつの集まりに参加して思ったことは、小学校にしろ高校にしろ同級生という関係は面白いものだなぁということ。男女を問わずみんなそれぞれの人生を経て、職業も肩書きもそれぞれ全く異なっているのに、同級生というだけで何十年ぶりだろうと昔のまま何のこだわりもなく付き合えてしまう。まったく不思議な関係だなとつくづく思った。
人生のなかではいろいろな仲間ができる。会社の仲間、仕事を通した仲間、地域の仲間、あるいは趣味の仲間などいろいろな仲間ができて自分の人生に影響を与えるが、そういう中でも同級生というのは自分自身が心身ともに成長していく過程のなかで知り得た貴重な財産なんだと改めて思い直した。この夏田舎でお会いできた仲間に感謝感謝。
東京でも先週末あたりから本格的な夏を迎えたようですが、今年の夏の“火の国熊本”の暑さは尋常ではなかった。気温36度、まるでサウナの中に入っているようなムッとする熱気、車庫の柱に掛けてある温度計は44度を指していた。
そういう気候のなかでふたつの同窓会があった。ひとつは小学校の同窓が集まってくれたもので、私が久しぶりに戻ってくるということで、地元に残っている有志が声を掛け合ってくれたという非常にありがたい集まり。こちらはなんと40年ぶりの再会だった。当日は最初会ったとき「こいつ誰?」状態だったのに、話をしているうちに顔の表情に昔の面影を思い出したり、喋りかたで記憶が甦ったりしてきたのは不思議だった。小学校6年間過ごした時間というのは40年の時の長さを一瞬にして取り戻すものなんですね。
もうひとつは高校の同窓会でこちらは三十数年ぶり。全国各地から馳せ参じて集まってくれた男女四十名弱が顔を揃えた。高校になると大人に近い顔立ちになっているせいか、齢五十を過ぎても面影が残っている人が多くわかりやすかった。それでも三十数年ぶりということでお互いに高校生のころの印象と比べてしまうのは仕方のないことかもしれない。
私の場合高校の頃は“長髪パーマ”という印象が強烈だったようで、みんなから髪型だけ変わったねと指摘された。でも私からすれば五十過ぎてそんなヘアースタイルをしているのはロックミュージシャンくらいしかいないだろうに(笑)と複雑な思いだった。
今回ふたつの集まりに参加して思ったことは、小学校にしろ高校にしろ同級生という関係は面白いものだなぁということ。男女を問わずみんなそれぞれの人生を経て、職業も肩書きもそれぞれ全く異なっているのに、同級生というだけで何十年ぶりだろうと昔のまま何のこだわりもなく付き合えてしまう。まったく不思議な関係だなとつくづく思った。
人生のなかではいろいろな仲間ができる。会社の仲間、仕事を通した仲間、地域の仲間、あるいは趣味の仲間などいろいろな仲間ができて自分の人生に影響を与えるが、そういう中でも同級生というのは自分自身が心身ともに成長していく過程のなかで知り得た貴重な財産なんだと改めて思い直した。この夏田舎でお会いできた仲間に感謝感謝。
